前回までのあらすじ
謙遜を美徳とする文化のある国・日本。
そこで生まれ育った暮山は、中東某国で圧倒的に美しいイタリア人・アンジェラに出会う。
出会って早々、アンジェラがその美しさへの賞賛に対し、謙遜することなく素直に受け入れる瞬間を目にする暮山。
日本人にとっては驚きの反応を目の当たりにしたことで彼女への興味が芽生えた暮山は、アンジェラと友人になる。
最初のうちはアンジェラの会話中の態度や表情が自身とは対照的であることに居心地の悪さを感じていたものの、アンジェラが真剣にこちらの話に耳を傾けてくれていることを理解し安心する暮山。
しだいに彼女の会話スタイルや考え方にも慣れてゆくのであった。
(「美と暮山編」初回記事はこちら→ 美と暮山① )
(前回の記事はこちら →美と暮山③ )
暮山、美にひれ伏す
親しく付き合うようになっても、アンジェラの 基本的に真顔&相槌少なめ という会話スタイルに変化は見られませんでした。
ただ、前回の記事でも触れたとおり、本当に面白いと思ったときにしか笑わない彼女の笑いの沸点はさほど高くはないのです。
こちらの発言に対してその美しい笑顔を見せてくれると、暮山はなんとも言えず嬉しい気持ちになります。
そしてこうも思いました。
こんな笑顔を見せられたら、男性はみんなアンジェラに夢中になっちゃうだろうな。
暮山、もし男性だったら彼女の笑顔が見たいがために仕事も寝食も忘れてお笑いネタを考えてしまうところです。
まさに身の破滅。
女性の笑顔というのは場の空気を和ませたり、華やかにしてくれたりする力を持っているものではありますが、やはり格別に美しい人の笑顔というのはその中でも尋常ならざる強大なパワーを持っているのですね。
美しさというのは恐ろしいものです。
男じゃなくて良かったわ…。
暮山は自分が女性であるという現実に胸をなでおろしつつ、家路につくのでした。
暮山、美について考える
アンジェラの笑顔に接し、わが身の破滅の危険を感じた暮山は、ひとつの仮説を立ててみました。
それは
アンジェラが常にニコニコしたりせず、ベースとして真顔でコミュニケーションを取るのは、自分の意思に反して様々な男性から好意を寄せられるのを避けるためなのではないか。
というものです。
(相手が女性であってもこのコミュニケーションスタイルは変化を見せないところを見るに、本人は意図してやっているわけではなさそうですが。)
さらに、仮にアンジェラの態度をヨーロッパ人女性代表、それに対し美しさへの賞賛に謙遜で答える行動を日本人女性を代表するものと仮定してみます。
そこから見えるさらなる仮説は
ヨーロッパの女性が最も回避したいのは「異性からの無用な好意」なのかもしれない。
それに対し日本人女性が最も回避したいのは「同性からの嫉妬」なのではないか。
というものです。
たった一人のイタリア人・アンジェラの態度をヨーロッパ人女性全体に広げるのは、暮山としてもちょっと飛躍しているかなとは思います。
しかし、大まかな比較から浮かび上がるひとつの仮説として一理あるとも思うのです。
(ちなみに、アンジェラと同じイタリア人であるソフィアも、会話スタイルはアンジェラと同じ 基本的に真顔&相槌少なめ です。
二人とも北イタリア出身ということで 寒冷地に住む人は比較的笑顔を見せる頻度が低い という出身地域による影響は無視できない要素ではあります。)
ヨーロッパ人の女性と比較して日本人の女性が同性からの嫉妬をより強く「避けるべきもの」として認識しているとすれば、それはなぜでしょうか。
21世紀の今日に至るまでなお、ムラ社会的な価値観の残る日本においては他からの嫉妬を避けることこそが最善の道だから?
あるいは、同性からの嫉妬を異性からの無用な好意以上に避けたがるということは、日本が比較的平和である証なのか?
暮山にはその答えはまだ分かりません。
もしかしたら、この仮説を実証することこそが暮山のライフワークなのかもしれません。
もしあなたがその美しさを他の方から賞賛される場面に出会ったら。
そして、その時もしあなたの反応を執拗に観察する何者かの視線を感じることがあったなら。
間違いありません。
近くに暮山が潜んでいるのです。
(「美と暮山編」サイドストーリーはこちらから→ 美と暮山 サイドストーリー① )
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