前回までのあらすじ
日本と比較し格段にサービスの質が劣る国・中東某国。
物心ついた時からおとなしく無害との定評のある暮山だったが、この国ではつい苛立ちを覚えバトルを繰り広げることもある。
前回までの記事では、オーダーミスをめぐる店員さんとのバトルとスーパー野菜コーナーに出没した必殺割りこみ人とのバトルを紹介した。
いずれのバトルでも怒りに我を忘れ果敢に戦いに挑んでいたが、ふと我に帰ると自分がクレーマーなのではとの不安に駆られる、しょせんは小心者の暮山。
今回からは日本と中東某国のサービス業の両極端な対応について検証しつつ、客側の態度についても考えてみることにする。
(「謝罪と暮山編」初回記事はこちらから→ 謝罪と暮山① )
(前回の記事はこちら→ 謝罪と暮山④ )
エスパー暮山と中東某国
日本には空気を読むという考え方があります。
一定数以上の人々がひとつの場に集うとき、その場のリーダーまたは過半数以上のメンバーが思うこと・望むことを察知すること。
そしてそれに沿った行動をとること。
それこそがこの空気を読むという言葉の意味するところかと思います。
暮山を含む多くの日本人は、幼い頃からこの行動に慣れ親しんで生活しています。
そのおかげで、日本で生まれ育った日本人であれば、程度の差こそあれほぼ全員がこの能力を習得済みであると言っても過言ではないでしょう。
みんな何気なくやっていることではありますが、これは驚くべき能力です。
なにしろ言葉を介さずにコミュニケーションをとることができるのだから、超能力と呼んでも良いと思います。
そして日本の質の高いサービスは、この空気を読むという特殊能力を国民のほぼ全員が習得済みであるために成り立っている…
というのが暮山の持論です。
空気を読む能力があるから、上司が逐一指示を出したり職務範囲を明示せずとも部下は想定に沿った働きを見せてくれる。
空気を読む能力があるから、職場内での常識という名の不文律に従って職務を全うすることができる。
もちろん多くの人が働く場ではそれぞれマニュアルが存在していることと思いますが、これほどまでにきめ細やかな行き届いたサービスが日本のいたる所で提供されるためには、マニュアルだけでは実現不可能だと思うのです。
一方中東某国では、世界各国からやってきた人々が入り混じって暮らしています。
ここでは空気を読むという超能力を持つわれわれエスパー(=日本人)は、残念ながら圧倒的少数派です。
エスパー同士であれば言葉にせずとも成立するコミュニケーションも、相手が非エスパー(=他国の人)ではまるで成り立たないのです。
中東某国における非エスパーによる成果物 〜代表例10選〜
- ネットスーパーの配達員が絶対にお釣りを持って来てくれない(事前に現金払い指定済み・お釣りの金額は500円程度)
- 家の設備の修理に来てくれる作業員が依頼後どのタイミングで来るのか教えてくれない。忘れた頃に突然やってくる
- 組み立て式家具の一部の部品がない・ボルト差込口が歪んでいる等、なぜか不備が多い
- 問い合わせ窓口の「折り返し連絡します」は9割折り返さない
- 比較的古くお金のなさそうなビルの窓掃除の水がよく落ちてくるので、街を歩く際は気が抜けない
- 大型のショッピングモールにあるお店なのに、やっぱりなぜかお釣りがない
- タクシーでもやっぱりお釣りがない
- 基本的にラッピングという概念がない。対応不可なこともあるし、対応可の場合も申し訳程度にリボンをつけてくれるだけ等、ラッピング技術にも選択肢にもポテンシャルは感じられない仕上がり
- ちょっとおしゃれなお店で小さめの物を買うと、なぜか明らかにサイズの合わない大きめの紙袋に入れてくれる
- 新築の家は不備だらけ。住みやすいのは前の住人が不具合を一通り修理し終わった状態の物件
非エスパーたちの仕事は、われわれエスパーから見ると未完成で顧客への配慮を欠いているように思えます。
なぜ、頑ななまでにお釣りを用意しないのか。
なぜ顧客に「やります」と言っておきつつ対応しないまま放置するのか。
そしてなぜ、新品の商品や物件に中古品よりも不備が多いのか。
われわれエスパーにとっては不可解な現象も、ここでは日常の一コマなのです。
しかし彼らはわれわれと違い特殊能力を持たぬ人間、致し方なしということなのでしょう。
空気を読むという思考がほとんど存在しない世界では、人は相手が上司であれ顧客であれ、その考えを予想しそれに沿って行動するという思考をほとんど持たずに生活することになります。
よって、業務を与える際はその責任範囲と職務内容をはっきりと示してあげる必要があるし、そこに明示されていないことは業務外、つまり対応不要なこととして処理対象から外れることになります。
暮山の想像ではありますが、お釣りを準備するとか発生件数が圧倒的に少ない問い合わせへの対応などといった細かい対応については、この国のサービス業では明示されていないのでしょう。
その結果、業務として明示されていない=対応する必要のないこととして判断されて放置され、こちらから主張しない限りはそのまま置き去りにされ忘れ去られる…という仕組み。
結果として暮山は、
街で窓掃除の水をかぶりながら出かけ
→お釣りがないと言われる恐怖に怯えながらマメに小銭を蓄え
→手のひらサイズの小物を猫が入れそうな大きさの紙袋に入れてもらって家路につく…
ということになるのです。
(お釣り問題についてはクレジットカードや電子マネーのおかげで解消しつつあり、ストレス軽減の兆しが見えております。)
エスパーの国・日本で生まれ育った暮山にとってはなかなか不便な暮らしであり、前回までの記事でご紹介したように怒りに我を忘れてしまうような驚きのサービスに遭遇することも少なくはないのですが、慣れというのは恐ろしいものです。
最近では暮山、
もしや中東某国のサービスが標準であって、エスパーの国・日本のサービスの方が基準を逸脱しているのでは…?
などと考えるようになりました。
(次の記事はこちら→ 謝罪と暮山⑥ )
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